2020.06.02

函館山のハイキング

登山口から山頂までは約2キロの距離、標高差は約300メートル。麓からのロープウェイならわずか3分で着くが、ゆっくり歩くと1時間半かかる。私は、歩く方をすすめたい。この山では雪解けの頃のフクジュソウから始まって、ウツギ、スカシユリ、ヤマハギなどの800種もの草花が、雪が積もるまで交替で登山道を彩る。

1月、雪の積もった道を登る。鬱蒼とした杉の林は人工林だ。函館山の木は、建物、造船、燃料として重宝された。あまりにも多くの木が伐採されたため、函館山が禿山になるという危機感から、19世紀初めには杉の木の植樹が始まり、樹齢200年という杉が今も空に向かってそびえている。

杉林の中、登山道の脇に観音像が置かれている。観音像というのは、人を苦しみから救ってくれる仏像だ。この像を人はどんな思いでここまで運んだのだろう。函館は港町、多くの人が移住しては去り、また人がやって来る町である。国際港としての始まりは19世紀半ば、外国船が入港する日本初の港となり、米国艦隊が入港すると、函館の人々は初めて目にする外国人の姿に大混乱だったという。

杉林を抜けると登山道の両脇に広葉樹林が広がる。夏は深緑のトンネルになり、冬は、葉を落とした木々の上から陽が差す。うっすらと雪があっても木々はすでに春芽の準備を始め、ネコヤナギは銀白色の花穂を膨らませている。5合目まで来ると、木立ちの向こうに函館市街がチラチラ見え始め、突如として、劇場の幕が開いたように市街全景が目に飛び込む。

函館山は火山の噴火でできた島で、長い年月をかけて砂洲で陸地に繋がった。そのため山裾から広がる函館の町は、左右に海が迫り、海上の上に扇を広げたような地形になっていて、一番狭い陸の幅は一キロ弱しかない。そこに人家が広がるため、市街に風が吹くと遮るものがない。火災が起きるとあっという間に街中が火の海となったことが幾度もあった。函館の人は大火を乗り越えて暮らしを守ってきた。

20世紀の初め、日本は戦争の時代に入り、函館山に要塞が築かれた。全方向に監視の目が届くよう幾多の軍事施設が作られた。軍事関係者以外の函館山入山は禁止され、厳重な警戒が敷かれた。その時に砲台が置かれていた要塞跡では、今は半分崩れたレンガ壁を持ち上げるようにシダが根を張る。ノリウツギの枯れ花が冬を越し、低木には胡椒粒のような真っ赤な実が熟していて、これは冬山の非常食になるという。要塞を守った人たちも同じ植物を目にし、口にしたのだろうか。

砲台跡から階段を数分上り、軽く汗ばみながら山頂に着く。山頂のロープウェイ駅も又、元要塞の上に作られている。津軽海峡を行き来する船を監視する軍人の視線はもうない。今は観光客の嬉しそうな表情があり、彼らの笑い声に平和を実感できる。
(北海道運輸局事業として当社が作成したものです)