2020.06.16

サラブレッドの大学 JRA日高育成牧場

日本の面積は、アメリカのカルフォルニア州と同じくらいだが、その4分の1近くを占めるのが北海道という島である。人口は日本全体のわずか5%に過ぎず、19世紀半ばまでは先住民のアイヌに加えて約5万人の日本人が北海道の南部に暮らしていただけの島だった。

19世紀半ばになると、フロンティアの夢を抱いてこの島に次々と人々が渡ってきた。開拓民たちは、入植した地域の気候や風土に適した産業を興こそうと、様々な試みをし、この日高地方では馬の育成が始まった。

日高山脈は北海道の中央から南北に150キロにわたって連なり、その高い峰からは幾筋もの川が流れだす。川は海の近くでは穏やかな傾斜の河岸段丘をつくり、やがては扇状地となり太平洋に注ぎ込む。山からの栄養分で、この辺の土地は豊かな土壌となる。北海道でも日本海側には雪が高く降り積もるが、太平洋側の日高地方の雪の量は少ない。沖で交わる暖流と寒流の影響で夏は涼しく、適度に霧のかかる日もある。冬の雪の少なさも夏の涼しさも馬の生育には最適の環境となっている。

日本では、19世紀半ばに始まる近代化とともに、馬の改良が推進され、この日高地方が早くからその役割を担うようになった。海外から馬を導入し、西洋式の厩舎や牧柵がつくられ、飼料の生産が始まった。日高地方では、皇室用の馬と軍馬が生産されてきたが、第2次世界大戦以降に日本での本格的な競馬が始まると、競走馬の育成が主となっていった。今では日本の競走馬の80%以上が日高産である。「日高といえば馬産地」とのイメージは、競馬好きにはもちろん、しっかり日本人に定着している。

主要馬産地の浦河には、JRA日高育成牧場がある。日高山脈につながる緩やかな丘からはじまるこの牧場の総面積は、約1千5百ヘクタール。ニューヨークのセントラルパークの約5倍の広さになる。ここでは、一日に1歳馬約5百頭が調教される。血統の良さだけでは馬の将来は予想できず、馬の個性を見極めながら調教メニューが決められ、2歳の春に向けて様々な調教が重ねられる。

広大な草原を利用したグラス馬場やダート馬場、坂路グラス馬場に加えて、全長1千メートルという屋内直線馬場で調教が行われる。この屋内の馬場には馬の脚に負担をかけないようにウッドチップが25センチの厚さで敷かれている。

屋内直線馬場での調教が始まると、馬たちが1千メートル先から勢いよくゴールに向かって走ってくるのが見える。2階にある見学者用の窓に備え付けられた望遠鏡で滑走する馬の姿を追う。走る姿からは、それぞれの馬の個性が見えてくる。首を持ち上げ前のめりに走ってくる馬もあれば、左右に体を揺らし不安定な足取りの馬もいる。

季節が春になり、牧場の桜並木が満開になる頃、セリにかけられた若い馬はそれぞれの牧場から旅立ち、将来の晴れ舞台となる競馬への道に向かう。

**北海道運輸局事業として当社が作成を担当させていただきました。